東京ディズニーシーを訪れた人なら、一度は目にしたことがあるであろう重厚な建物――それが「タワー・オブ・テラー」です。
まるで歴史映画のセットのような外観と、“呪いの偶像”をめぐる壮大なストーリー。アトラクションであるにもかかわらず、その世界観の緻密さと演出のクオリティに「これは映画が原作なのでは?」と思った方も多いのではないでしょうか。
この記事では、「タワー・オブ・テラーの原作とは何か?」という素朴な疑問を出発点に、アメリカ版との違い、東京版オリジナルストーリーの構成、物語に込められたメッセージまでを徹底的に解説します。
読み終える頃には、次にホテル・ハイタワーの前に立ったとき、今までとは違った視点で“恐怖”と“魅力”を味わえるはずです。
そもそも「タワー・オブ・テラー」とは?
「タワー・オブ・テラー」は、ディズニーパークにある“フリーフォール型”のアトラクションですが、ただの絶叫マシンではありません。最大の魅力は、アトラクション全体に張り巡らされた濃密なストーリーテリングにあります。乗る前から始まっている恐怖体験、建物や展示品に込められた伏線、キャストの演技まで含めて、まるでひとつの物語作品に自分が入り込んだような臨場感を味わえるのです。
アメリカのフロリダやカリフォルニア、フランスのパリにも同名のアトラクションがありますが、それぞれが異なる背景設定を持っています。特に日本・東京ディズニーシーにある「タワー・オブ・テラー」は、海外版とは一線を画す“完全オリジナルストーリー”で構成されており、原作がないにも関わらず、ファンの間で「一つの映画作品のようだ」と語られるほどの完成度を誇っています。
アメリカ版の原作は「トワイライトゾーン」
本家アメリカの「タワー・オブ・テラー」は、1950〜60年代に放送された名作TVシリーズ『トワイライトゾーン(The Twilight Zone)』を原作としています。このシリーズは、1話完結型のオムニバス形式で、ホラー・SF・サスペンス・社会風刺と多彩なテーマを扱い、今なお“伝説の番組”として評価されています。『X-ファイル』や『ブラック・ミラー』など現代のドラマにも大きな影響を与えました。
アトラクションに採用されたストーリーは、1939年のハロウィンの夜、雷に打たれて消えたエレベーターとその乗客たちの怪事件。ゲストはその廃墟となったホテルを訪れ、同じエレベーターに乗り込み、かつての悲劇を体験するという流れです。アメリカ版では、番組のナレーションを再現した音声が流れたり、ホテルのセットが番組の撮影セットを模していたりと、原作ファンにとってはたまらない演出が散りばめられています。
東京ディズニーシー版に原作はない?その真相とは
一方で、東京ディズニーシーの「タワー・オブ・テラー」には、『トワイライトゾーン』のような“明確な原作”が存在しません。これは、アメリカの番組が日本ではあまり知られていなかったことや、東京ディズニーシー独自の世界観を構築するために、オリジナルストーリーが必要だったという事情がありました。
こうして生まれたのが、ハイタワー三世という人物を主人公とした「ホテル・ハイタワー」の伝説です。舞台は1920年のニューヨーク。数々の美術品や秘宝を世界中から“略奪的に”収集していた大富豪ハリソン・ハイタワー三世が、ある日、アフリカのムトゥンドゥ族から手に入れた“呪いの偶像”シリキ・ウトゥンドゥによって行方不明になります。
この「消失事件」を軸に、現在のホテル見学ツアーへとつながっていくストーリーが展開されるのです。まるで歴史小説のようなディテールの積み重ねにより、原作がないにも関わらず深くリアルな世界観が構築されています。
インスピレーションとなった名作映画たち
東京版の「タワー・オブ・テラー」には原作がないと言われていますが、実際には数々の映画作品からインスピレーションを得ていると考えられます。たとえば、『市民ケーン』に登場するゴージャスだが虚構に満ちた邸宅“ザナドゥ”は、ホテル・ハイタワーに通じる要素が見られます。どちらも“力を持ちすぎた男の崩壊”というテーマを含みます。
また、ヒッチコックの名作『サイコ』における“監視するような目線の演出”は、ホテルのいたるところに存在する「シリキ・ウトゥンドゥの目」の恐怖演出と共鳴します。さらに『華氏451』における文明批判、『ケープ・フィアー』の静かな狂気の演出など、さまざまな名作映画の要素が東京版の演出に“引用されている”と見ることもできるでしょう。
これらの映画的エッセンスを吸収しながら、東京版は独自の物語を生み出すことに成功しています。
ストーリーに込められた深いテーマとは
東京版「タワー・オブ・テラー」のストーリーは、単なるホラーではなく“寓話的要素”を強く含んでいます。探検家ハイタワー三世は、他国の文化や信仰を尊重することなく、富と名声のために収集を続けました。彼が持ち帰った「シリキ・ウトゥンドゥ」は、単なる彫像ではなく、現地では“魂を封じた神聖な存在”として扱われていたものです。
物語の核心は、「文明が未開と呼ぶものを侵し続けた結果、何を失うか」という問いです。ハイタワーの失踪は単なる“怪奇現象”ではなく、“因果応報”というテーマの象徴です。ホテルを訪れるゲストもまた、その罪を追体験する存在として物語に巻き込まれていきます。
「トワイライトゾーン」と「東京版」の決定的な違い
両者の大きな違いは「ストーリーの立場と視点」です。アメリカ版では、あくまでゲストは“当事者”として怪奇現象に巻き込まれる立場。一方、東京版では“調査・見学”の立場でホテルに入り、“過去に起きた事件”を追体験する形式です。
また、恐怖の描き方にも明確な違いがあります。アメリカ版は「不条理」「パラレルワールド」といった“理不尽な恐怖”を描きますが、東京版は“呪い”“報い”“罪と罰”という道徳的メッセージを含んだ恐怖となっています。ゲストはホラー映画の観客ではなく、歴史の目撃者としてアトラクションを体験しているのです。
ストラングとベアトリスの謎めいたホテル見学
東京ディズニーシーのストーリーラインをより奥深くしているのが、新聞記者マンフレッド・ストラングと、エンディコット三世の娘ベアトリスの“ホテル見学”です。実はこのシーンには多くの伏線が仕込まれており、訪れたゲストが「本当に呪いが存在したのか?」という疑問と共にツアーを終えるように作られています。
2人の対照的な性格――合理主義者で懐疑的なストラングと、実利主義で現実的なベアトリス――のやりとりが、物語に奥行きを与えています。また、物語中に登場する“シリキの目が光る演出”や“鳴り響く電話の声”などは、アトラクション内で再現される恐怖演出としてリンクしており、世界観に没入しやすい仕掛けになっています。
まとめ:原作がないのに“映画のような体験”を提供する理由
東京ディズニーシーの「タワー・オブ・テラー」は、“明確な原作作品が存在しない”にも関わらず、他のどんなディズニーアトラクションよりも深いストーリーとリアリティを兼ね備えています。それは、ディズニーの「物語の力」によるものです。細部まで計算し尽くされた演出、美術、音響、キャストの演技が、アトラクションを“物語作品”として成立させているのです。
訪れた人は「アトラクションに乗った」ではなく、「不思議なホテルを探検して、謎を追体験した」と感じることでしょう。そう、“体験型映画”とも呼ぶべきこのアトラクションこそ、原作を持たない傑作と呼ばれる所以なのです。